「ベーデン・パウエルの生涯」短縮版

制作 武藤賢之輔 氏 S56年~S60年カブ隊長
編集 ボーイスカウト南砺第3団

オリジナルをもとに、富山県連盟 南砺第3団さんが制作した短縮版です。ビーバー・カブスカウトにはこちらが適していると思いますので、南砺第3団さんの了解をいただいて掲載しています。

スマホの場合は横長にしてご覧ください

ボーイスカウト・ガールスカウト各団の方で、画像とナレーションデータが必要な方は「ダウンロードコーナー」から取得ください。加工していただいてもかまいません。ただし、原本・加工物ともに再配布はしないでください。

(C)Mutou2012
やあ スカウトのみんな 私が誰だかわかるかい?
そう 私が 「ベーデン パウエル」 おじさんだよ!
BPといえばわかるかな?
私がこのボーイスカウト運動を始めたんだよ...
「え?どうして、そんなことを始めた」 かって...
じゃあそれを話す前に
ちょっと私のことを聞いてくれたまえ...
私は今から160年以上前 、1857年2月22日 イギリスのロンドンで10人兄弟の8人目として生まれたんだ。。。
父は 大学の教授で、科学者でもあり牧師でもあったんだよ。
ところが その父は 私がまだ3才の時に亡くなってしまった..
父が亡くなってから生活はとっても苦しくなったが 母は 私達兄弟を一所懸命大切に育ててくれた。
私達は ボートでの冒険旅行をしたり、学校近くの森で野生動物の足跡を探したり、わなをかけて野ウサギを捕らえたり、焚き火で料理したりして、森で生活することを学んだんだよ..
私は 軍隊では大変優秀な斥候(せっこう patrol)だったんだ!
斥候って判るかな?
それは 敵の様子を調べて報告をする、つまり 日本の忍者みたいな役目だ
それには 子供の頃の野外での活動や生活の経験が とっても役に立ったんだよ
私は その後もアフリカやインドでリーダーとして頑張った。
そして その間に訓練の教科書となる『斥候の手引き』という本を作ったんだ
任務を終えて 故郷に戻って驚いた!
町は、すすや煙で汚れ
あわれな若者たちが町にはあふれていた..
このままでは若者達が 非行に走ってしまう!
その前に何とかしないと! 私はそう思い、自分が体験してきた、「自然を観察し そこから学び、経験する素晴らしさを伝えるため
青少年のために「斥候の手引き」を書き直すことにした。
そしてさらに、子供達と一緒に実践してみなくてはいけないと思ったのだ!
自分の研究してきたことが正しいかを調べるため、私が50歳の時、少年たち20名を集め、ブラウンシー島でキャンプ生活をしたんだ
キャンプは2週間続け 忍び 追跡などのゲームや開拓作業などを行った。
みんな自然の中では生きいきとして活躍しキャンプは大成功だった!
キャンプで行った訓練と訓育方式が若者にとって魅力的なものであり、有効であることがわかり、『スカウティング フォア ボーイズ』という本が六冊に分けて発行されたのだ。
それを読んだ少年達が次々にグループを作り 熱中し、次第に 少年達は大人に隊長になってくれる様に 頼むようになってきた。
そしてだんだんと多くの国でもスカウト運動が始まっていったんだ。
ところが 大変悲しいことに 戦争が始まってしまった
第一次世界大戦だ!
「何ということだ ボーイスカウトを始めとする若者達が何千人も殺しあうことになるなんて。。。
もっともっとスカウト運動によって平和を守ることに つくさなくてはならない」
私は 固く、固くそう思った
戦争が終わり、みなで平和を祝い
国々の間に新しい友好関係を築くため
第1回ジャンボリーをロンドンで開いたんだ。
そこには 30カ国8千人もの人々が参加してくれたんだ
みな 一つの制服 一つの理想のもとに集まったんだよ。
私が この世を去ったのは1941年
第二次世界戦争のさ中であった
スカウト運動は 大戦後 すばやく立直り、今や全世界で活発に展開されているよ
〇〇第〇団のようにな...
今は君たちがりっぱなスカウト精神のもと、日々活動してくれているのを 大変嬉しく見守っているよ!
ラストメッセージの一文 を紹介して終わりにしよう!
「私は、非常に幸せな生涯を送ることができた。
だから、君たち一人ひとりにも、同じように幸福な人生を歩んでいってもらいたいと願っている。
お金持ちになっても、社会的に成功しても、わがままができても、それによって幸福にはなれない。
幸福への第一歩は、少年のうちに、健康で強い体をつくっておくことである。
そうしておけば、大人になったとき、世の中の役に立つ人になって、人生を楽しむことができる。
幸福を得る本当の道は、ほかの人に、幸福を分け与えることにある。
・・・「そなえよつねに」を忘れずに、大人になっても、いつもスカウトのちかいとおきてを、守っていきなさい。